newsletter No.58

No.58

2018年9月20日

 目  次

・酵素ダイエットとグミサプリに関して申し入れ
・熟成肉の安全性に対する厚生労働省の姿勢とは
・韓国で盛り上がる遺伝子組み換え食品表示改正運動~国際シンポジウムに参加して~
・照射ジャガイモをめぐるあやしい動き~生産量の情報を公開せず、照射直後に出荷~
・GMナタネ自生調査から見えてきたこと、新たな段階を迎えた遺伝子汚染
・連載・食品と法律(30)「アメリカと韓国の輸入食品安全強化法」
・トピックス「日欧EPAと食の安全」
・FSCW運営委員会報告

巻頭言

  水俣フォーラム編『水俣へ 受け継いで語る』(岩波書店)を読みました。多くの方の講演録です。大変中身が濃いので、皆さんぜひ図書館に購入希望を出して読んでください。

 中で、池澤夏樹さんが言っていることに興味を引かれました。彼は人の不幸を自然対人・人対人・組織対人に分けるのですが、会社・企業・官僚が引き起こす不幸はけた違いだと言っています。人を人として見ない、数でしか見ないというのです。これは現在の障害者雇用の数値改ざん問題に通じます。また東京新聞の記事によれば、バスの車中で怪我をした人の数が都の報告より警視庁の方が少ないのだそうです。しかし、また、水俣を見放したのは、「より豊かな暮らし」をしたい日本人全部だと言ってもいます。

 生活クラブ生協の機関誌で、辺見庸さんがオウム死刑大量執行につき、死刑制度が世間によって強固に支持されると書いています。日本は社会と世間の二重構造だ、権力と対峙する個人が作るのが社会で、本音が世間。
 水俣も死刑大量執行も、社会に起きる許し難い事象は、世間が許しているということでしょう。

 今の社会で、戦争を悪ではないという人はいないでしょう。人は人を殺してならないのは誰もが認める原理です。ではなぜ国は人を殺して良いのでしょうか。殺される死刑囚も人なのです。死刑制度があっても犯罪を予防する力にはなりません。生きとし生けるものを大切にする社会こそ、犯罪を防ぐのだと私は思っています。

 フランスではミツバチを復活させるため、ネオニコチノイド系農薬を全廃するそうですが、日本では逆に、残留基準を緩和します。

 私たちは、もっと権力を監視する姿勢をもたないと、不幸を呼び集めることになりかねません。災害大国を守るのにまったく役に立たないアメリカ産の武器を言い値で買い、災害復興は基本的に個人任せ、憲法は、個人が個人として尊重されることを定めています。健康で文化的な最低限度の生活も保障しています。拷問と残虐な刑罰も禁止しています。

 しかしその権利は、私たちの不断の努力によって保持していかないといけないとも定めているのです。
 今、私たちの覚悟が問われています。

(神山美智子)